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健康経営と分煙対策コラム

2026.07.02 分煙対策・受動喫煙対策
嫌煙権とは?判例から見る職場の受動喫煙対策の法的根拠

「職場での受動喫煙を訴えられるリスクはあるのだろうか」「分煙対策を怠ったら損害賠償を請求されるのだろうか」——そんな不安を抱く総務担当者やオフィス管理者の方は少なくありません。
嫌煙権をめぐる法的な議論は1970年代から続いており、近年の改正健康増進法によって職場の受動喫煙防止はマナーから義務へと変わりました。本記事では、日本における嫌煙権の概念と主要な判例を整理したうえで、企業が押さえるべき現代のルールをご説明します。

嫌煙権とはどのような概念か

嫌煙権とは、たばこの煙(副流煙)によって汚染されていない清潔な空気を吸う権利、そして受動喫煙を強いられる状況に異議を唱える権利のことです。
この概念が日本社会に広まるきっかけとなったのは、1978年2月に発足した「嫌煙権確立をめざす人びとの会」です。同会は主に次の3つの権利を掲げて活動を展開しました。
1.たばこの煙で汚染されていない清潔な空気を吸う権利
2.たばこの煙が不快であることを穏やかに、しかし明確に伝える権利
3.公共の場所での喫煙制限を求めて組織に働きかける権利

なお、「嫌煙権」という用語は現行の法律上では明確に定義されていません。一方で、受動喫煙を拒む利益は法的な保護に値する人格権の一種として認める見解が裁判所でも示されており(京都簡易保険事務センター事件ほか)、その根拠は徐々に整備されてきています。

日本における主要な嫌煙権・受動喫煙関連判例

【判例①】嫌煙権訴訟(東京地裁 1987年3月判決)

日本で初めて「嫌煙権」を正面から争った裁判です。1980年4月、原告14名が国鉄(現JR)と日本専売公社(現JT)を相手取り、すべての列車の半数以上を禁煙車にすることと、受動喫煙による健康被害への損害賠償を求めて提訴しました。
1970年代は成人男性の喫煙率が75%前後で推移しており、列車内での喫煙は日常の風景でした。当時、禁煙車が設置されていたのは新幹線「こだま」の1両だけでした。
1987年3月の判決では、車両内での受動喫煙によって眼・鼻の刺激、頭痛、咳などの影響が生じたことは認めつつも、それは一過性の刺激にとどまるものであり受忍限度を超えないとして、原告の訴えは棄却されました。
ただし、判決の中では喫煙者に対して喫煙の場所と方法について自制することが望まれるという道義的な指摘もなされています。
この判例のポイント: 訴訟自体は棄却されましたが、嫌煙権をめぐる社会的議論が活性化し、その後の禁煙車両の増設や交通機関での喫煙規制につながった点で大きな意義を持ちます。嫌煙権訴訟は社会的な「実質勝利」とも評されています。
参考:立教大学共生社会研究センター「嫌煙権訴訟関連資料(R30)について」

【判例②】I市職員嫌煙権事件(山口地裁岩国支部 1992年7月判決)

市役所の職員が、庁舎内の事務室を禁煙にしないことで長年受動喫煙を余儀なくされ、人格権を侵害されたとして、市に対して事務室の禁煙と慰謝料30万円の支払いを求めた事件です。
裁判所は、人格権に基づく差止請求が認められるためには、受動喫煙が受忍限度を超えていることが必要であるという基準を示しました。社会一般の喫煙に対する考え方、喫煙者と非喫煙者が共存する職場における規制状況など諸事情を総合的に判断した結果、当時の状況では受忍限度を超えるとは言えないとして、請求は棄却されました。
この判例のポイント: 受動喫煙に関する差止請求の判断基準として「受忍限度超過」という考え方が示されました。また、この当時はまだ受動喫煙の医学的知見が現在ほど確立していなかったことが判断に影響しています。
参考:一般財団法人女性労働協会「I市職員嫌煙権事件 判例」

【判例③】江戸川区受動喫煙損害賠償請求事件(東京地裁 2004年7月判決)

使用者(雇用主側)に受動喫煙防止義務違反を認め、損害賠償を初めて認容したリーディングケースです。
江戸川区の職員が、配属先の執務室で自席での喫煙が許されていたため日常的に受動喫煙に悩まされ続けました。眼やのどの痛みを感じていた職員は、受動喫煙による急性障害が疑われる旨の診断書を上司に示したうえで分煙措置を繰り返し要望しましたが、一向に改善されなかったとして、安全配慮義務違反に基づく損害賠償を提起しました。
東京地裁は、使用者には職員の生命・健康を保護する安全配慮義務があるとしたうえで、診断書によって健康への影響が認識できる状況にあったにもかかわらず、自席での喫煙禁止や席の移動などの合理的な対応を怠ったことは義務違反にあたると判断し、慰謝料5万円の支払いを命じました。
この判例のポイント: 次の3つが損害賠償認容の主な要素として読み取れます。

  • 職場で日常的に受動喫煙にさらされる環境であった
  • 診断書によって受動喫煙による健康影響を認識できた
  • 費用や手間の面で格別の困難を伴わない分煙対策が可能であったにもかかわらず実施しなかった

参考:一般財団法人女性労働協会「江戸川区受動喫煙損害賠償請求事件 判例」

【判例④】京都簡易保険事務センター嫌煙権事件(京都地裁 2005年頃判決)

郵政事業庁の職員が、庁舎内での受動喫煙により健康被害を受けたとして、安全配慮義務違反および人格権(嫌煙権)の侵害を主張した事件です。
この判決では、受動喫煙を拒む利益は法的保護に値するものとみることができ、嫌煙権という言葉の適否はともかく、その利益が違法に侵害された場合には人格権の一種として受動喫煙を拒むことを求め得る余地があると示されました。
ただし、事業所が段階的に分煙対策を推進していたことを踏まえ、安全配慮義務違反は認められないとの判断が下されました。
この判例のポイント: 嫌煙権を人格権の一種として認める余地を明示した点で注目されます。一方で、使用者が合理的な分煙対策を段階的に講じていれば、義務違反を免れる場合があることも示されました。
参考:一般財団法人女性労働協会「京都K保険事務センター嫌煙権事件 判例」

【判例⑤】神奈中ハイヤー(受動喫煙)事件(東京高裁 2006年10月判決)

タクシー乗務員が、乗客の喫煙による受動喫煙を理由に、会社に対して安全配慮義務違反の慰謝料を請求した事案です。
タクシー車内という密閉空間での受動喫煙について、使用者がどのような場合に安全配慮義務違反となるかの判断基準を示した点で参考になる事案です。この判決はその後、最高裁判所への上告も棄却され(2007年2月)確定しています。

最高裁・行政機関の重要な立場

最高裁昭和45年大法廷判決(1970年)

喫煙の制限に関する最高裁判所の基本的な立場を示した判決です。この判決は「喫煙の自由」に言及しましたが、それが憲法13条が保障する基本的人権の一つだとまでは断定せず、仮にそうであっても制限に服しやすいものにすぎないと示しました。
その後、受動喫煙の有害性に関する医学的知見が急速に蓄積されたことにより、喫煙の自由はさらに制限される方向に向かっています。

健康増進法改正と司法判断の変化

受動喫煙をめぐる法的環境は、時代とともに大きく変わってきました。その節目となったのが2018年の健康増進法改正です(2020年4月1日全面施行)。これにより受動喫煙防止はマナーからルールへと転換し、違反した場合には50万円以下の過料が科される可能性も生じました。
参考:厚生労働省「受動喫煙対策」

改正健康増進法が職場に与えるインパクト

原則屋内禁煙と喫煙室の設置要件

2020年4月の全面施行により、一般的な事務所や工場、飲食店などを含む多くの施設で原則屋内禁煙となりました。屋内で喫煙を認める場合には、厚生労働省が定める技術的基準を満たした喫煙専用室などを設置することが求められます。
喫煙専用室の主な技術的基準は次のとおりです。

  • 出入口において室外から室内に流入する空気の気流が0.2m/秒以上
  • たばこの煙が室内から室外に流出しないよう、壁・天井等で区画されている
  • たばこの煙が屋外または外部の場所に排気されている

なお、学校・病院・行政機関などは屋内に喫煙室を設けることができない敷地内禁煙施設として、より厳格なルールが適用されます。
参考:厚生労働省「なくそう!望まない受動喫煙。」改正法のポイント

20歳未満の者の喫煙区域立入禁止

20歳未満の者は、喫煙を目的としない場合であっても喫煙エリアへの立入りが全面禁止となっています。アルバイトを含む従業員も例外ではなく、掃除などの業務であっても喫煙専用室に立ち入らせてはなりません。

求人票への受動喫煙対策の記載義務

2020年1月から、ハローワークの求人票に受動喫煙防止対策の欄が追加されました。採用活動においても受動喫煙対策の取り組みを明示することが求められるようになっています。
参考:政府広報オンライン「屋内は原則禁煙!受動喫煙防止のルールを守りましょう」

分煙対策が不十分な場合の法的リスク

前述の江戸川区事件に代表される裁判例を踏まえると、次のような状況では会社が安全配慮義務違反を問われるリスクがあります。

  • 従業員が受動喫煙による健康被害を訴え、診断書を提出しているにもかかわらず対策を講じない
  • 日常的に受動喫煙にさらされる職場環境を放置している
  • 合理的な費用や手間で実施可能な分煙対策を取らない

また、改正健康増進法の義務に違反して従業員が健康被害を受けた場合、労災認定がなされたり、従業員から安全配慮義務違反等を理由とした損害賠償請求を受けたりするリスクもあります(労働契約法5条、民法415条・709条)。

総務・施設管理担当者が取るべき対応

判例と法改正の流れを踏まえると、職場での受動喫煙対策として実効性を持たせるためには次のような取り組みが有効です。

喫煙所の整備

改正健康増進法の技術的基準を満たした喫煙専用室を設置するか、屋外に喫煙スペースを確保します。屋外に設置する場合も、周囲の通行者や窓・換気口から一定の距離を置くなど、受動喫煙を生じさせない配慮が求められます。

ルールの明文化

就業規則に喫煙に関する規定を設けることで、喫煙者・非喫煙者双方に対して会社のルールを明確に示すことができます。たとえば「喫煙は会社が指定する喫煙専用室においてのみ可能とする」「20歳未満の者は喫煙可能な場所に立ち入らないこと」などの記載が参考になります。

従業員からの申告への迅速な対応

受動喫煙による健康被害の申告があった場合、診断書の内容を確認のうえ迅速に対応することが不可欠です。江戸川区事件が示したように、申告を認識しながら対応を怠ることは安全配慮義務違反と評価されるリスクがあります。

衛生委員会等を通じた周知

労働安全衛生法に基づく衛生委員会などの場を通じて、従業員の意見を把握しながら職場の実情に応じた受動喫煙対策を継続的に検討・改善することが求められています。

まとめ

嫌煙権は1970年代の市民運動として始まり、その後の裁判例の積み重ねを経て、2020年の改正健康増進法全面施行によって職場の受動喫煙対策は法的義務となりました。
判例が示してきた核心は、「使用者は従業員の健康を守る安全配慮義務を負っており、受動喫煙による健康被害を認識した場合には合理的な対策を講じなければならない」という点です。分煙対策は従業員のコンプライアンスリスクを下げるだけでなく、働きやすい職場環境の整備という観点からも不可欠な取り組みといえます。
喫煙専用室の設置や屋外喫煙スペースの整備については、設備コストや設置スペースの確保が課題となることもあります。そのような場合には、既製の喫煙ブースや分煙キャビンを活用する選択肢もあります。自社の施設規模や環境に合った方法で、受動喫煙対策を着実に進めていきましょう。

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